「村山談話」の歴史的意義


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 戦後の歴史認識問題で、かつて永野茂門法務大臣や桜井新環境庁長官が言及して、マスコミや韓国、中国から批判を受けて辞めると言う事がありました。
それが、「あること」をきっかけに、閣僚が戦後の歴史認識問題で辞めることがなくなりました。
「あること」とは、村山談話です。これは、自民・社会・さきがけ連立政権の時です。
村山談話が出る以前は、何が政府の歴史認識なのかが定まっておらず、その結果、閣僚が歴史認識発言によって辞職に追い込まれたことがあったのでした。
閣僚が、「あなたの歴史認識は」と質問されて、「私は村山談話の通りです」と答えることで、戦後の歴史認識問題で辞めることがなくなりました。

政治にとっては、戦後の歴史認識問題に決着して、未来志向で中国及び韓国との関係を強化していく必要があります。
戦後の歴史認識問題に決着するためには、発言の「ガイドライン」というものをつくっておけば、その「ガイドライン」に従って発言すれば、辞職するといった問題は起こらなくなります。
 評論家や学者の中には、当時、例えば、「歴史というのは二世紀も三世紀もかけて議論すべきだ、戦後五十年といったって、戦後五十年しかたっていないし、やっとこの問題についていろいろの問題が出てくるから、これからゆっくり議論すればいい、これについてとやかくいうことはけしからんことだ」という議論もありました。
しかし、政治の現実というのは動いているわけですし、日本は世界の中でそれぞれの国との関わりも持って生きていくわけですから、ということであれば、政治の責任としてできる範囲でのことは、きちんと明確にするところはしていく努力をするのが、政治家の役目なのです。
村山談話は、「村山富市という社会党の総理だから、駄目なんだ」という主張もありますが、これは、自・社・さ連立政権の時にできたのです。
これは、従来の自民党の総理大臣の見解など政府の考え方を踏まえて「村山総理談話」という形にまとめたものなのです。
こうしたことは、自民党の総理では「なかなできないこと」なのです。それを、村山総理がやった。これが8月31日の「村山総理」のメッセージなのです。
 
 安倍総理も、当初は、戦後の歴史認識問題発言で問題になりそうでしたが、その後、「村山談話」を踏まえて「先の大戦をめぐる政府の認識は、首相談話などで示されている通り、わが国はかつて植民地支配と侵略によって、多くの国々に、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦悩を与えたというものだ」と「村山談話」を引用することで、問題でなくなりました。
 それで、今月8日から中国、韓国訪問が可能となったのです。もしも、「村山談話」と違うことを主張していたら、中国、韓国訪問が困難になっていたかも知れません。

現実の政治とは、こういうものなのです。相互に自己の正当性や利益だけを主張するだけでは国際関係はうまくいかないのです。
評論家や学者は、自己の思想の正当性だけのべて、その結果が悲惨であっても、責任は取りません。しかし、政治家がその結果に対して責任を持たなければならないのです。
それが、政治家と評論家・学者・マスコミとの大きな違いなのです。

安倍総理が、「村山談話」を踏襲するのは当然のことです。

〇村山総理談話
 村山内閣と戦後五十年問題を考える上で最も重要なのは、平成6年8月31日に発表されました村山総理の談話です。この村山総理談話は、戦後五十周年に当たり談話を発表されたのですが、これは韓国、そして東南アジアを歴訪した後に発表されました。

 以下が、「内閣総理大臣の談話」全文です。

内閣総理大臣の談話
平成六年八月三十一日

 明年は、戦後五十周年に当たります。私は、この年を控えて、先に韓国を訪問し、またこの度東南アジア諸国を歴訪しました。これを機に、この重要な節目の年を真に意義あるものとするため、現在、政府がどのような対外的な取組を進めているかについて基本的考え方を述べたいと思います。

一、我が国が過去の一時期に行った行為は、国民に多くの犠牲をもたらしたばかりでなく、アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒しがたい傷痕を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考えます。
我が国は、アジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視しなければなりません。日本国民と近隣諸国民が手を携えてアジア・太平洋の未来をひらくには、お互いの痛みを克服して構築される相互理解と相互信頼という不動の土台が不可欠です。
戦後五十周年という節目の年を明年に控え、このような認識を揺るぎなきものとして、平和への努力を倍加する必要があると思います。

二、このような観点から、私は、戦後五十周年に当たる明年より、次の二本柱から成る「平和友好交流計画」を発足させたいと思います。
 第一は、過去の歴史を直視するため、歴史図書・資料の収集、研究者に対する支援等を行う歴史研究支援事業です。
 第二は、知的交流や青少年交流などを通じて各界各層における対話と相互理解を促進する交流事業です。
 その他、本計画の趣旨にかんがみ適当と思われる事業についてもこれを対象としたいと考えています。
 また、この計画の中で、かねてからその必要性が指摘されているアジア歴史資料センターの設立についても検討していきたいと思います。
なお、本計画の対象地域は、我が国による過去の行為が人々に今なお大きな傷痕を残しているアジアの近隣諸国等を中心に、その他、本計画の趣旨にかんがみふさわしい地域を含めるものとします。
 この計画の下で、今後十年間で一千億円相当の事業を新たに展開していくこととし、具体的な事業については、明年度から実施できるよう、現在、政府部内で準備中であります。

三、いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。
我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになると考えており、本計画は、このような気持ちを踏まえたものであります。
 なお、以上の政府の計画とあいまって、この気持ちを国民の皆様にも分かち合っていただくため、幅広い国民参加の道をともに探究していきたいと考えます。

四、また、政府としては、女性の地位向上や女性の福祉等の分野における国際協力の重要性を深く認識するものであります。
私は、かねてから、女性の人権問題や福祉問題に強い関心を抱いております。明年、北京において、女性の地位向上について検討し、二十一世紀に向けての新たな行動の指針作りを目指した「第四回世界婦人会議」が開催されます。このようなことをも踏まえ、政府は、今後、特にアジアの近隣諸国等に対し、例えば、女性の職業訓練のためのセンター等女性の地位向上や女性の福祉等の分野における経済協力を一層重視し、実施してまいります。

五、さらに、政府は、「平和友好交流計画」を基本に据えつつ、次のような問題にも誠意を持って対応してまいります。
 その一つは、在サハリン「韓国人」永住帰国問題です。これは人道上の観点からも放置できないものとなっており、韓国、ロシア両政府と十分協議の上、速やかに我が国の支援策を決定し、逐次実施していく所存です。
もう一つは、台湾住民に対する未払給与や軍事郵便貯金等、長い間未解決であった、いわゆる確定債務問題です。債権者の高齢化が著しく進んでいること等もあり、この際、早急に我が国の確定債務の支払を履行すべく、政府として解決を図りたいと思います。

六、戦後も、はや半世紀、戦争を体験しない世代の人々がはるかに多数を占める時代となりました。しかし、二度と戦争の惨禍を繰り返さないためには、戦争を忘れないことが大切です。平和で豊かな今日においてこそ、過去の過ちから目をそむけることなく、次の世代に戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを語り継ぎ、常に恒久平和に向けて努力していかなければなりません。それは、政治や行政が国民一人一人とともに自らに課すべき責務であると、私は信じております。

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