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社会党が「自衛隊は違憲」に政策転換した。現実無視の政策で驚いた。
民主党との前原代表も、『非現実的で残念』とのことだと述べている。
「11日、大分市内で記者団に対し社民党が自衛隊を『違憲状態にある』とする党宣言を採択したことについて、『村山富市首相の誕生で現実的な安全保障政策を取り入れ、一緒にやってきた同志と思っていた。現実的ではない党の考え方に戻ったことについては残念だ』との見解を示した。」(2月12日、産経新聞など)
なお、2月12日付・読売社説には、[社民党宣言]「時代錯誤の『非武装中立』回帰」というタイトルの解説が載っていました。参考になると思い全文を掲載しました。
今さら、歴史の歯車を逆に戻せるわけでもない。何とも時代錯誤としか言いようがない。
社民党が11日、党大会で採択した社会民主党宣言には、こんな言葉が並ぶ。
「明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り……、改編・解消して非武装の日本を目指す」「日米安全保障条約は、平和友好条約へと転換させる」
戦後の政治史を知る人は、保革対決の55年体制の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるかもしれない。
例えば、社民党の前身である社会党の綱領的文書である1964年の「日本における社会主義への道」は、日米安保条約廃棄、自衛隊解消、国民警察隊・平和国土建設隊への改変を掲げている。今回の宣言と、よく似た内容だ。
自衛隊違憲・非武装中立は、長年、社会党の基本政策だった。今となっては、ある程度の年配の人が、懐かしい思いで記憶している程度だろう。
社会党が自民、さきがけ両党との連立政権を発足させた1994年、当時の党委員長だった村山富市首相は、自衛隊について「憲法の認めるものである」と表明した。 「日米安保体制の意義と重要性」も認めた。
従来の自衛隊違憲・反安保からの大転換だった。実際に政権を担当して、非現実的な安全保障政策を転換せざるをえなかったのは、当たり前だ。
96年に党名を社民党に変えたが、基本政策は村山路線を継承したはずだった。それが今なぜ、“先祖返り”なのか。
社民党の説明では、村山内閣時と比べて、自衛隊が大きく変質しているからだという。“変質”を示す例として、日米新ガイドライン、周辺事態法や有事法制の整備、海上自衛艦のインド洋派遣や自衛隊のイラク派遣、ミサイル防衛などを挙げている。
周辺事態法や有事法制は、日本の安全を守るために不可欠だ。海上自衛艦のインド洋派遣や自衛隊のイラク派遣は、国際社会の平和を維持・創出する国際平和活動の一環だ。
社民党の主張通りにしたら、国民の生命、財産を守ることはできないし、日本は国際社会の孤児になってしまう。
社民党の党勢は低迷し、現在は衆参の国会議員13人の小政党に過ぎない。「護憲」を訴えて生き残りを図る社民党には、自衛隊違憲論をよすがに「護憲」をよりアピールする狙いもあるのだろう。
それでも当面、わずかな支持を得ることは可能かもしれない。だが、時代の大きな流れを変えることなど、出来るはずもない。
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