第四章 鈴木善幸 総裁時代
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 イラン革命に端を発する第二次石油危機が発生し、再び大きな試練に見舞われるかと思われた日本経済であったが、国民の賢明で冷静な対応にも助けられ、石油危機後の調整過程を乗り切った。

 戦後の「経済自立五ヵ年計画」より始まる一連の経済計画の成果によって国民の所得が増大し続けたという事実が体現した例の一つである。

 また、物価や国民生活の安定を絶対条件として成り立つ、均衡のとれた経済発展が始まった証明でもあった。

 日本経済は安定期に入ったのである。大平正芳総理大臣の急死を受け、「和の政治」をスローガンに掲げた鈴木善幸が第十代総裁に就任し、昭和五十五年七月十七日に鈴木内閣が誕生した。

 鈴木内閣は赤字同債依存体質からの脱却をはかるべく、土光敏夫経団連名誉会長を会長とする第二次臨時行政調査会を発足させ、「増税なき財政再建」をかかげ、財政緊縮を行うなど行政改革に本格的に着手した。

 さらに、公職選挙法を改正し、参議院全国区が廃止、拘束名簿式比例代表制になったのが昭和五十七年の事である。

 鈴木氏の唱えた「和の政治」の実践は、自民党が挙党体制をとることに成功したという事実も、我が党の歴史を語る上で忘れてはならない。このような多大な功績を残しながら、鈴木首相は一期のみで電撃的に勇退した。

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