第八章 小泉純一郎 総裁時代
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 平成十三年四月の森喜朗総裁の辞意を受けての自民党総裁選挙は、総裁選に三度目の挑戦となる小泉純一郎、元首相の橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香の各氏が立候補を表明し、党員による予備選で圧勝した小泉純一郎氏が新総裁に選ばれた。

 小泉首相は「聖域なき構造改革」を政権のスローガンに掲げ、発足時の内閣支持率は八十%超という国民の圧倒的支持を受け、七月の参議院議員通常選挙で我が党は圧勝した。

 その年の九月十一日には、アメリで同時多発テロ事件が発生したことを受け、テロ対策特別措置法を制定し、アメリカのアフガニスタにおける作戦の支援をおこなった。

 翌平成十四年九月には、北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長との会談で「日朝平壌宣言」に調印、翌十月には五人の拉致被害者を帰国させた。

 平成十五年三月のイラク戦争後、イラク国内の復興を支援するためイラク支援特別措置法を成立させ、翌平成十六年一月に自衛隊をイラク・サマワへと派遣した。

 このように、二十一世紀に入ってからの我が国を取り巻く国際情勢は、大変複雑なものであった。

 一方、内政面では、小泉首相にとって長年の悲願であった郵政民営化に着手した。党内からの反発の声は大きく、法案は平成十七年の第百六十二回通常国会で、衆議院では党内から造反議員が相次ぎ、五票差という僅差ではあったものの辛うじて可決されたが、参議院では十七票差で否決され、小泉首相はその日のうちに衆議院解散をおこなった。

 解散後の記者会見で小泉首相は、「郵政民営化が本当に必要ないのか、はっきりと国民に問いたい」と発言し、郵政民営化法案成立への意気込みを語った。

 選挙戦に突入すると、民主党を初めとする野党の勢いは全く感じられず、選挙の流れは小泉首相を初めとする我が党一色となり、最終的には、二百九十六議席という歴史的圧勝で終わり、郵政民営化は国民の圧倒的支持により信任された形となった。

 その後、第百六十三回特別国会で郵政民営化法は無事成立の運びとなった。郵政民営化法にけりがつくと、党内および国民の関心はポスト小泉に集まっていった。

 党内では、麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の各氏(麻垣康三)が有力と見られ、なかでも第三次小泉改造内閣で官房長官に抜擢された安倍晋三氏に国民の支持が集まっていった。

 当時の学生部の活動は、学生部のホームページに残されている活動実績によると、党や都連などの各種行事への参加や、国会議員の先生方との懇談会などを開催したり、平成十四年は部会を月に二回程度開催していた。

 平成十六年には五月二十六日に、山本一太参議院議員、河野太郎衆議院議員と共に、党本部で朝食会を開催した。

 十月二十一日から、部員五人が参加した五日間の台湾への研修旅行では途中、台風で飛行機に乗れないというハプニングなどがあったものの無事に終えた。

 十一月十九日には、都連青年部・女性局の方々と共に有楽町マリオン前にて、新潟県中越地震のための街頭募金活動・街頭演説を行った。

 被災地はノルディックスキーの盛んな地域であり、元オリンピックスキー選手である荻原健司参議院議員の、新潟の復旧と被災地の方の健康を願った街頭演説は、部員達の心に深く残ったという。

 平成十八年に入り、学生部内に研修・渉外・ホームページ対策プロジェクトチームの各委員会が設置された。しかし副委員長以下、執行部の人員が定まらず、不安定な状況がしばらく続くこととなった。

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